陸前高田市海と貝のミュージアム

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2013年2月17日 (日) 14:59時点におけるWaterperiod (トーク | 投稿記録)による版 (職員の発表資料追記)
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陸前高田市海と貝のミュージアム
よみ りくぜんたかたうみとかいのみゅーじあむ
所在地 〒029-2205 岩手県陸前高田市高田町字下宿55
緯度経度 39° 0' 31.66" N, 141° 38' 42.15" E
電話番号 0192-54-5520
FAX 0192-55-3888
メールアドレス
ウェブサイト http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/kakuka/umikai/
Twitter @umitokai
備考 情報提供協力: インターネットミュージアム
ウェブサイト閲覧不可(2011-04-30現在)
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被災状況

産経04.17:壊滅的被害あり。世界有数の貝のコレクションが多数流されるが、建物は耐え抜く。再建に向け館長らが動き出す

学芸員消息不明(3月*日時点)

職員・利用者の被害

職員(学芸員2名)は無事(2011年5月4日、岡本真氏が陸前高田市役所にて確認)

施設の被害

  • 躯体・外壁は残っている。内壁は多くが剝がれている。展示設備は1階・2階とも壊滅的被害。

収蔵品・展示の被害

  • 展示は壊滅的被害。収蔵品は半分程度が流失。残りを職員および協力者で搬出、洗浄作業を開始。タイプ標本等の重要資料は無事。(4月5日時点)

その他の被害

運営情報

救援状況

外部からの支援状況

  • 国立科学博物館: 「ツチクジラ剥製標本」(全長9.7m)[1]1個体レスキュー実施(担当: 山田脊椎動物研究グループ長)[2]
    • 2011年5月28~29日: 現地での応急修復実施[3]
    • 2011年6月29日: 筑波地区自然史標本棟(茨城県つくば市)に移送[3]
    • 2012年3月: 標本の燻蒸後強制乾燥を行い、本格的な修復作業実施[3]
      「標本の左側面は剥製のテクスチャなどが見える状態に,右側側面はコーティングを残した状態に表皮の処理を行い,修復作業がひとまず安定した状態まで終了。」[3]
      「標本の燻蒸の後、筑波地区にて強制乾燥を行ったツチクジラ剥製標本について、本格的な修復作業を行いました。
      まず、樹脂コートFRPガラスクロス剥離、表皮カビの処理の作業が行われました。製作当初の本来の姿と海と貝のミュージアム新設オープンの目玉展示としての姿を対比できるよう、標本の左側面は剥製のテクスチャなどが見える状態に、右側側面はコーティングを残した状態とすることが決定しました。表皮養生で標本表皮補修作業を終え、ひとまずの修復作業が終了しました。」[2]
    • 2012年10月12日: 科学博物館収蔵庫(筑波地区[4])にて保管中であることを「ホットニュース」にて報告[2]
  • 大阪市立自然史博物館: 陸産貝類(柵山龍司コレクション)の微小種約500点を預かり、復旧作業(洗浄・殺菌・乾燥)を実施。作業は自然史博物館友の会会員ボランティアが担当。復旧を終えた標本の一部(22点)を同館で以下により展示。[5]
    2012年3月2日(金曜日)~6月3日(日曜日): ミニ展示「陸前高田市海と貝のミュージアム所蔵の貝類標本とそのレスキュー」(自然史博物館 本館1階 ナウマンホール)
  • [支援募集中](2011-10-09 東海新報) 津波で流出した資料の発見情報を募集。資料を見つけた際の問い合わせ先は旧生出小学校(58-2203)。[6]
 これまで貴重な骨格器資料などの発見例が3件あり、「資料とみられるものを見つけた際には、ぜひ連絡をしてほしい」と市民らに協力を呼びかけている。震災前、市立博物館は約15万点、ミュージアムでは約11万点の資料を所蔵。しかし、両施設ともに津波被害に遭い、流されてしまった資料も多い。
  • タイプ標本を含む収蔵品の一部を岩手県博で預かり、洗浄作業開始。(4月12日時点)

職員らによる他の博物館等への支援状況

  • 2013年2月2日(土)~3月31日(日): 愛知県安城市歴史博物館にて開催の企画展「震災からよみがえった東北の文化財」にて、陸前高田市海と貝のミュージアム職員らによる「鳥羽源蔵生家のレスキュー」について展示紹介。[7](2013-02-17記入)
    「宮沢賢治「猫の事務所」のモデルとなった鳥羽源蔵。その生家から被災した資料が陸前高田市立博物館に寄贈された。「岩手博物界の太陽」と呼ばれた博物学者・鳥羽源蔵の陸前高田市にある生家は、屋根の一部のみ残し流失、残った蔵から書籍や標本類などが陸前高田市海と貝のミュージアム職員らによって救出された。陸前高田市立博物館と海と貝のミュージアムのレスキューの合間をぬっての多忙な作業は、博物館の恩人である鳥羽源蔵の遺産を残したいという一心からであった。」[7]
    「陸前高田市海と貝のミュージアムには鳥羽源蔵とその弟子・千葉蘭児のコレクションが収蔵・展示されていた。」[7]

自由記述

  • 館の海側は流された大量の車の仮保管場所に使われている。[8]

情報源

記入者

元情報