「陸前高田市中央公民館」の版間の差分

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(→‎公民館の壁に残されたメッセージ: (2012-06-28 毎日新聞) 壁に天国へのメッセージ 保存求め署名も)
(「公民館の壁に残されたメッセージ」関係記事追加)
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|よみ=りくぜんたかたしちゅうおうこうみんかん
 
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|所在地=〒029-2205 岩手県陸前高田市高田町字砂畑61-1
 
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== その他 ==
 
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===公民館の壁に残されたメッセージ===
 
===公民館の壁に残されたメッセージ===
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*(2012-08-24 河北新報)公民館壁・犠牲の母へのメッセージ 陸前高田市、保存決定<ref name="www.kahoku.co.jp_20120824">[http://www.kahoku.co.jp/news/2012/08/20120824t31015.htm 河北新報 東北のニュース/公民館壁・犠牲の母へのメッセージ 陸前高田市、保存決定](2012/08/24閲覧)</ref>
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*:「岩手県陸前高田市は23日、東日本大震災の津波で犠牲になった母親へのメッセージが書かれた市中央公民館の壁について、一部を切り出して保存することを決めた。中央公民館自体は取り壊す。
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*: 9月上旬に作業を始め、2週間ほどで完了させる。市は取り出した壁を廃校となっている市内の旧生出小校舎に一時保管し、今後の展示の在り方などを検討する。
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*: 市によると、工事費は約220万円。メッセージ部分の保護のため表面塗装を施した後、縦1メートル50センチ、横1メートル5センチ、厚さ15センチの大きさで切り取る。保存する壁の重さは約560キロになるという。」
 
*(2012-07-12 読売新聞) 「母のいた場所」残して 陸前高田の公民館<ref name="www.yomiuri.co.jp_20120718">[http://www.yomiuri.co.jp/feature/eq2011/news/etc/20120712-OYT8T00973.htm 「母のいた場所」残して 陸前高田の公民館 : その他 : ニュース : 東日本大震災 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)](2012/07/18閲覧)</ref>
 
*(2012-07-12 読売新聞) 「母のいた場所」残して 陸前高田の公民館<ref name="www.yomiuri.co.jp_20120718">[http://www.yomiuri.co.jp/feature/eq2011/news/etc/20120712-OYT8T00973.htm 「母のいた場所」残して 陸前高田の公民館 : その他 : ニュース : 東日本大震災 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)](2012/07/18閲覧)</ref>
 
*:「津波で被災した岩手県陸前高田市の中央公民館で見つかった母親宛てのメッセージは、津波で亡くなった同館指導員、小松博子さん(当時58歳)の娘たちが書きつづったものだった。公民館が解体される前に母への感謝の思いを届けたかったという姉妹は、読売新聞の取材に「母のいた場所が壊されるのは、やはり寂しい」と建物の保存を望んだ。」
 
*:「津波で被災した岩手県陸前高田市の中央公民館で見つかった母親宛てのメッセージは、津波で亡くなった同館指導員、小松博子さん(当時58歳)の娘たちが書きつづったものだった。公民館が解体される前に母への感謝の思いを届けたかったという姉妹は、読売新聞の取材に「母のいた場所が壊されるのは、やはり寂しい」と建物の保存を望んだ。」
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=== 記入者 ===
 
=== 記入者 ===
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*[[利用者:Waterperiod|Waterperiod]] 2012年8月24日 (金) 22:50 (JST)
 
*[[利用者:Masao|Masao]] 2012年7月18日 (水) 19:40 (JST)
 
*[[利用者:Masao|Masao]] 2012年7月18日 (水) 19:40 (JST)
 
=== 元情報 ===
 
=== 元情報 ===

2012年8月24日 (金) 22:50時点における版

陸前高田市中央公民館
よみ りくぜんたかたしちゅうおうこうみんかん
所在地 〒029-2205 岩手県陸前高田市高田町字砂畑61-1
緯度経度 39° 0' 48.60" N, 141° 37' 58.82" E
電話番号 0192-54-4221
FAX 0192-55-2434
メールアドレス
ウェブサイト
備考 (典拠:全国公民館連合会調査)
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被害状況

職員・利用者の被害

施設の被害

蔵書・収蔵品・展示の被害

その他の被害

運営情報

救援状況

避難受入情報

避難受入規模

その他

公民館の壁に残されたメッセージ

  • (2012-08-24 河北新報)公民館壁・犠牲の母へのメッセージ 陸前高田市、保存決定[2]
    「岩手県陸前高田市は23日、東日本大震災の津波で犠牲になった母親へのメッセージが書かれた市中央公民館の壁について、一部を切り出して保存することを決めた。中央公民館自体は取り壊す。
     9月上旬に作業を始め、2週間ほどで完了させる。市は取り出した壁を廃校となっている市内の旧生出小校舎に一時保管し、今後の展示の在り方などを検討する。
     市によると、工事費は約220万円。メッセージ部分の保護のため表面塗装を施した後、縦1メートル50センチ、横1メートル5センチ、厚さ15センチの大きさで切り取る。保存する壁の重さは約560キロになるという。」
  • (2012-07-12 読売新聞) 「母のいた場所」残して 陸前高田の公民館[3]
    「津波で被災した岩手県陸前高田市の中央公民館で見つかった母親宛てのメッセージは、津波で亡くなった同館指導員、小松博子さん(当時58歳)の娘たちが書きつづったものだった。公民館が解体される前に母への感謝の思いを届けたかったという姉妹は、読売新聞の取材に「母のいた場所が壊されるのは、やはり寂しい」と建物の保存を望んだ。」
  • (2012-07-06 岩手日報) 被災公民館のメッセージ保存検討 陸前高田市長[4]
    「震災で被災した陸前高田市の市中央公民館の壁に書かれた津波で亡くなった母宛てとみられるメッセージについて、陸前高田市の戸羽太市長は5日、保存を検討する考えを示した。 戸羽市長は「壁を切ることができるのか、できないのかを業者と相談したい。技術的な面や費用もあるので、最低でも写真で残したい」と説明した。 メッセージは玄関付近の壁に二つあり、「いつも夢に出てきてくれて嬉(うれ)しいよ いつも笑顔で優しくてやっぱりお母さんはステキ」「これからもみんなのこと天国で見守っててね」などと記されている。」
  • (2012-06-28 毎日新聞) 壁に天国へのメッセージ 保存求め署名も[5]
    「東日本大震災で大津波に襲われ、多くの市民が犠牲になった岩手県陸前高田市の中央公民館の壁に、亡き母にあてたとみられるメッセージが見つかった。市は7月にも解体工事を始める予定だが、災害の記録保存に取り組む研究者らが、壁の保存を求めて署名活動を始めた。 メッセージは2種類。今年5月20日、市職員の佐々木英治さん(40)が見つけた。中央公民館は避難中に100人以上が犠牲になった市民体育館内にあり、今も、津波が運んだ土砂や木片が積み重なる。佐々木さんも体育館で津波に遭い、かろうじて助かった。「体育館がとりこわされても この場所の事 絶対忘れないからね!」とも書かれており、佐々木さんは「ここで働き、津波で亡くなった職員の子どもたちが、悲しみを乗り越えて書いたのではないか」と推測する。 市は被災した公共施設は、1カ所を除きすべて取り壊す方針だ。一方で「つらい思いを乗り越えるために、奇跡の一本松のように壁だけでも保存すべきだ」との声も上がる。」
  • (2012-06-28) 旧陸前高田市立中央公民館の壁面に書かれたメッセージの保存を求める請願書[6]
    「高田市中心部の市街地は、津波被害によって数多くの方が尊い命をなくされました。その悲劇の中心の中央公民館に、このメッセージの書かれた壁が残されています。この壁面に書かれたメッセージの保存を求める請願書を掲示します」

情報源

記入者

  • Waterperiod 2012年8月24日 (金) 22:50 (JST)
  • Masao 2012年7月18日 (水) 19:40 (JST)

元情報