「浪江町立請戸小学校」の版間の差分

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=== 職員・利用者の被害 ===
 
=== 職員・利用者の被害 ===
 
*学校に残っていた児童は避難<ref name="www.minpo.jp_post_2582">[http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/11/post_2582.html 【「逃げろ」命守った判断】 学校の津波対応 「運が良かっただけ...」 間一髪、課題残す - 東日本大震災|福島民報](2012/05/06閲覧)</ref>
 
*学校に残っていた児童は避難<ref name="www.minpo.jp_post_2582">[http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/11/post_2582.html 【「逃げろ」命守った判断】 学校の津波対応 「運が良かっただけ...」 間一髪、課題残す - 東日本大震災|福島民報](2012/05/06閲覧)</ref>
「沿岸から約500メートルの浪江町の請戸小。誰も経験したことのない長い揺れが襲った。防災無線が大津波警報の発令を知らせる。校舎には給食後に下校した1年生を除き、2年生から6年生までの児童77人が残っていた。 教職員はすぐに「逃げろ」と児童を促し、避難場所に指定されている約2キロ先の大平山に向かって走った。森山道弘教頭(57)が最後に校舎内外を確認していると大津波が押し寄せてくるのが見えた。地震発生から約40分後だった。間一髪で車に乗り大平山の麓にたどり着く。乗っていた車は津波に流された。」
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*:「沿岸から約500メートルの浪江町の請戸小。誰も経験したことのない長い揺れが襲った。防災無線が大津波警報の発令を知らせる。校舎には給食後に下校した1年生を除き、2年生から6年生までの児童77人が残っていた。 教職員はすぐに「逃げろ」と児童を促し、避難場所に指定されている約2キロ先の大平山に向かって走った。森山道弘教頭(57)が最後に校舎内外を確認していると大津波が押し寄せてくるのが見えた。地震発生から約40分後だった。間一髪で車に乗り大平山の麓にたどり着く。乗っていた車は津波に流された。」
 
=== 施設の被害 ===
 
=== 施設の被害 ===
 
*「請戸小は津波で建物の1階が被害に遭ったが、2階は流されず無事だった。」<ref name="www.minpo.jp_20120506">[http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/05/post_1272.html 請戸小の楽器や体操着を回収 自衛隊  - 東日本大震災|福島民報](2012/05/06閲覧)</ref>
 
*「請戸小は津波で建物の1階が被害に遭ったが、2階は流されず無事だった。」<ref name="www.minpo.jp_20120506">[http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/05/post_1272.html 請戸小の楽器や体操着を回収 自衛隊  - 東日本大震災|福島民報](2012/05/06閲覧)</ref>
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=== その他の被害 ===
 
=== その他の被害 ===
* (2011-05-19 福島民報) 「行方不明者の捜索に当たっている福島市の陸上自衛隊第44普通科連隊は浪江町の請戸小から楽器や体操着などを回収し、18日、同町の回収品を保管している二本松市の旧針道小に届けた。  請戸小は津波で建物の1階が被害に遭ったが、2階は流されず無事だった。自衛隊は先週、震災発生当時の4~6年生の教室に残されていたランドセル55個を回収。さらに同学年の児童所有の鍵盤ハーモニカと体操着を持ち出した。 」<ref name="www.minpo.jp_post_2582"/>
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*(2011-11-27 福島民報) 「警戒区域内にあり、町への帰還や学校再開の見通しはない」<ref name="www.minpo.jp_post_2582"/>
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*2011年4月21日,学校を含む浪江町全域が,原子力災害対策特別措置法(平成11年法律第156号)第28条第2項により読み替えられる災害対策基本法(昭和36年法律第223号)第63条第1項の規定に基づく警戒区域に指定された。<ref name="www.pref.fukushima.jp_20110421">[http://www.pref.fukushima.jp/j/keikaikuiki.pdf 福島県災害対策本部. 「お知らせ」 平成23年4月21日 (PDF)](2011/04/21付け, 2012/01/10閲覧)等</ref>
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== 運営情報 ==
 
== 運営情報 ==
  
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== その他 ==
 
== その他 ==
 
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* (2011-05-19 福島民報) 「行方不明者の捜索に当たっている福島市の陸上自衛隊第44普通科連隊は浪江町の請戸小から楽器や体操着などを回収し、18日、同町の回収品を保管している二本松市の旧針道小に届けた。  請戸小は津波で建物の1階が被害に遭ったが、2階は流されず無事だった。自衛隊は先週、震災発生当時の4~6年生の教室に残されていたランドセル55個を回収。さらに同学年の児童所有の鍵盤ハーモニカと体操着を持ち出した。 」<ref name="www.minpo.jp_post_2582"/>
  
 
== 情報源 ==
 
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2012年5月6日 (日) 10:52時点における最新版

浪江町立請戸小学校
よみ なみえちょうりつうけどしょうがっこう
所在地 〒979-1522 福島県双葉郡浪江町大字請戸字持平56
緯度経度 37° 28' 30.81" N, 141° 2' 5.05" E
電話番号 0240-35-2336
メールアドレス
ウェブサイト
備考
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被害状況[編集]

職員・利用者の被害[編集]

  • 学校に残っていた児童は避難[1]
    「沿岸から約500メートルの浪江町の請戸小。誰も経験したことのない長い揺れが襲った。防災無線が大津波警報の発令を知らせる。校舎には給食後に下校した1年生を除き、2年生から6年生までの児童77人が残っていた。 教職員はすぐに「逃げろ」と児童を促し、避難場所に指定されている約2キロ先の大平山に向かって走った。森山道弘教頭(57)が最後に校舎内外を確認していると大津波が押し寄せてくるのが見えた。地震発生から約40分後だった。間一髪で車に乗り大平山の麓にたどり着く。乗っていた車は津波に流された。」

施設の被害[編集]

  • 「請戸小は津波で建物の1階が被害に遭ったが、2階は流されず無事だった。」[2]
  • 津波被害あり[3]

蔵書・収蔵品・展示の被害[編集]

その他の被害[編集]

  • (2011-11-27 福島民報) 「警戒区域内にあり、町への帰還や学校再開の見通しはない」[1]
  • 2011年4月21日,学校を含む浪江町全域が,原子力災害対策特別措置法(平成11年法律第156号)第28条第2項により読み替えられる災害対策基本法(昭和36年法律第223号)第63条第1項の規定に基づく警戒区域に指定された。[4]

運営情報[編集]

救援状況[編集]

避難受入情報[編集]

避難受入規模[編集]

その他[編集]

  • (2011-05-19 福島民報) 「行方不明者の捜索に当たっている福島市の陸上自衛隊第44普通科連隊は浪江町の請戸小から楽器や体操着などを回収し、18日、同町の回収品を保管している二本松市の旧針道小に届けた。  請戸小は津波で建物の1階が被害に遭ったが、2階は流されず無事だった。自衛隊は先週、震災発生当時の4~6年生の教室に残されていたランドセル55個を回収。さらに同学年の児童所有の鍵盤ハーモニカと体操着を持ち出した。 」[1]

情報源[編集]

記入者[編集]

  • Masao 2012年5月6日 (日) 10:45 (JST)

元情報[編集]