ハリケーン・カトリーナとニューオリンズ洪水被災者の図書館体験

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原題:LIBRARY EXPERIENCES OF HURRICANE KATRINA AND NEW ORLEANS FLOOD SURVIVORS
著者: Braquet, Donna M (University of Tennessee)
翻訳:山口 学(国立国会図書館)
掲載: LIBRES: Library and Information Science Research Electronic Journal. March 1, 2010

 100万人以上の居住者が、ハリケーン・カトリーナとニューオリンズの洪水によって退去された。生活を根こそぎにされ、国中に離散し、被災者は家から数百マイルも離れることになった。何人かは、快適さと必須の情報を公共図書館で見つけた。本研究はオンライン調査と徹底的なインタビューを通して明らかになった、被災者の図書館体験について検証する。2006年8月から10月まで実施された調査で、回答者のほぼ2分の1と被面接者の40%が災害後、図書館を利用したことが明らかになった。訪問の理由は、インターネット接続、情報と技術支援、精神的な逃避と避難などであった。参加者は、図書館の破壊がどのように彼らの喪失感を増したか、そして図書館の修復がどのように彼らに希望感を与えたか議論した。

キーワード: ハリケーン・カトリーナ、ニューオリンズ洪水、被災者、公共図書館、情報ニーズ、災害、災害コミュニケーション。

序章[編集]

 ハリケーン・カトリーナとニューオリンズ洪水は、200,000以上の家と18,000の企業を破壊し、アメリカ全国に100万人を離散させた(CNN、2005; ルイジアナ復興局、2006a)。 数日の事で家に帰れると思った被災者は、何ヶ月も避難所とホテルの部屋にいることになった。ハリケーン・カトリーナと洪水の一年後でも、50パーセントの居住者は帰宅しなかった(大ニューオリンズ・コミュニティ・データ・センター、2008)。 これらの災害は、最近の記録ではアメリカ市民の最大の長期移住を生じた(ニグ 、バーンショウ、トレス、2006)。

 これらの破滅的な状況で暮らしている人々にとって、情報にアクセスし、他人と通信することは難しくなった。 被災者は、家族、友人、隣人、雇用主(LRA、2006b)に連絡することがほとんどできなかった。死にもの狂いで愛する人を見つけ、彼らの故郷の状況に関する不可欠な情報を見つけるために、多くの人々は、誰にでも公開され、無料サービスを提供し、ほとんど全てのコミュニティに存在する唯一の場所-公共図書館を訪問した。

 本研究は2006年のオンライン調査と徹底的なインタビューから構成される研究によって見出された、ハリケーン・カトリーナとニューオリンズ洪水災害後の、被災者の図書館利用と図書館体験を報告する。この調査により図書館が被災者の情報の検索とアクセスを支援する上で、そして、避難場所と逃避を提供するのを支援する際に重要な役割を演じたことが明らかになった。本研究は災害の状況下での支援方法を発見するのに積極的な関与を行う図書館員を擁護した。本研究はまた災害の前後に、図書館は市民と防災を企画しているコミュニティへの不可欠な情報源であると考えられなければならないことを示唆した。図書館員がどのように災害の被災者を支援することができるかという点についていくつかのキーポイントが提供された。

文献についての考察[編集]

 本研究の調査時には、ハリケーン・カトリーナと洪水の前後に図書館員がどのようにサービスを提供したかに焦点をあてた内容の多数の記事を収載した図書館文献が存在した。フレッチャー(2006)は、どのように医学図書館員が迅速に組織化し、寄付の要請を送信し、資料を選定してバトンルージュ地域の避難所で働いている医者に、届けたかを検証した。彼女は避難所の診療所で利用される資料は印刷され、持ち運びでき、簡潔で、規範的で、もちろん、最新のものでなければならないと検証した。 ルイジアナと周辺州の図書館員は、貸出カードを発行し、災害救助のフォーマットの完成を支援し、政府機関に照会し、本とローカル情報を避災者に提供した方法を報告した(アルバネゼ,ブルメンステイン、オデル & ロジャース2005)。ディカーソン(2007)は、ジェファーソン・パリッシュ図書館(JPL)の責任者として、どのように図書館を再編成し、アクセス障害を取り除き、近隣の教区の何千もの住民に奉仕したかについて検証した。 カトリーナ後の数か月にJPLは3,600枚以上の貸出カードを配布し、チェーンソー、安全の確保、医学的心理的認識などのプログラミング・セッションの共同スポンサーになった。

 2大災害後数日で図書販売業者、ボランティア、図書館学校学生からの支援によって、ヒューストン公共図書館はヒューストン・コンベンション・センターに10,000冊の本と28台のコンピュータで被災者のための避難所図書館を設立した(メラス、2005)。バトンルージュで、ルイジアナ州立大学図書館情報学の図書館員と学生は、ProQuestから寄付されたトレーラーとIBMによって提供されたコンピュータを利用した図書館を設立した(ドウソン & デ ラ ペニャ マコック, 2006)。この論文では図書館員がユーザーの殺到する要求に対処した災害発生関連のウェブサイト、書誌、他の参考文献について記述している。 デンプシー(2005)とマクナイト(2006)は前述のProQuest/IBM図書館はバトンルージュ郊外の連邦緊急管理庁(FEMA)の大型トレーラーハウスキャンプ地であるルネッサンス・ヴィレッジへ移転し、そこではボランティア図書館員と学生が資料と遺品の発見を支援するけでなく、語る必要があった人々の話も聞いたと報告した。ブロックとキム(2006)は異なる図書館からの40人の図書館員がどのように災害後の努力を支援したかという短い説明を提供した。これらの論文は図書館員の激務と国中で被災者のための公共図書館サービスの提供に関する逸話の記録に焦点をあてている。2006年中頃までに、図書館員からの直接のレポートは豊富だったが、この分野の研究が欠如していた。

 ハリケーン・カトリーナと洪水被災者の全般的な情報ニーズと情報行動を理解するために、著者は「ハリケーン・カトリーナ被災者研究: カトリーナの前後の情報とコミュニケーション」というタイトルの研究を行った。調査の要点のひとつは、災害後、被災者の図書館の利用を調査することだった。調査結果は、本研究に示されている。 以下の論文では、幅広い分野での情報ニーズと情報行動に関する研究について論述する。 彼らの災害関連の情報体験の精神的、感情的、知的な面を確認するため被災者を調査することが重要だったと著者は感じている。

 この研究に続いて災害後の図書館の役割に関連した調査結果がいくつかの論文で公表された 2004年と2005年のハリケーンに関して公共図書館が果たした役割に関して、公共図書館のインターネット利用の研究は際立っている。研究者は図書館員の回答から、被災者が友人、家族、雇用主を見出して再連絡し、FEMAと保険申込書の作成、故郷に関する情報検索、仕事と住宅情報の検索のために公共図書館のインターネット接続を利用したということを見出した(ベルト、イエガー、ランガ、マクルーア2006b)。図書館は、実際、コミュニティが緊急情報を提供し、避難所を提供し、物理的支援を提供し、困っているコミュニティ・メンバーを助け、救済組織と協力し、災害によって損害を受けた建物の洗浄に備えるのを支援することによって、通常の業務のパラメータの範囲内外で、役割を果たした。図書館員は避難所の運営、水、氷、防水シート、食事を配布し、非常時作戦センター電話バンクのスタッフを勤めたと報告している(イエガー、ランガ、マクルーア、ベルト2006)。多くの研究の成果として、マクルーアたちは、ハリケーン状況に対して、図書館の役割、責任、最善の実践のポータルサイトを開発した(マクルーアほか、2009)。

 ウエルシュとヒギンズ(2009)は、地域公共図書館により提供される文献提供サービスに関して南部ミシシッピ大学の図書館学部学生を調査した。半分以上の学生が情報を見つけ、申請書を作成して被災者を助けたと回答し、一方50%以上が話を聞くこと、慰めの提供、ボランテイア、時間とお金の提供について回答した。他の269人の図書館員の2005年の予備調査では、回答者の25%がカトリーナの後で新しいサービスを追加したと回答し、14%だけが計画中と回答した。 追加調査では、図書館員と図書館情報学の学生のための、調査にもとづいた研修資料を準備するのに利用される大規模な情報を獲得する予定である(マクナイトとザック、2007)。

 本研究は災害後の図書館利用を理解するためのアプローチという点で特徴がある、なぜなら被災者に彼らの体験について尋ねているからである。著者は、調査の図書館関連に関して、3つの主要な質問をした。

Q1: 被災者の図書館利用で一番多かったのは何だったか?
Q2: どのように、被災者は図書館を利用したか?
Q3:災害後の図書館利用に関連した被災者の思いと感情は何だったか?

方法論[編集]

 本調査は災害前、災害中、災害後の、被災者の情報ニーズと情報行動を発見しようとした。面接、電話インタビュー、およびオンライン調査が含まれている。研究開始前に著者の施設内倫理委員会によって承認が得られている。

 研究のオンライン調査は、2006年8月から10月まで行われた。 オンライン調査参加呼びかけはニューオリンズ地域の新聞とテレビニュースの議論フォーラム(nola.com、wdsu.com、wwltv.comなど)に掲示され、地域住民(thinknola.com、thirdbattleofneworleans.blogspot.comなど)、カトリーナ関連のフォーラムとグループ(Craig's List New Orleans section, Katrina Survivors Yahoo!Group)と近隣議論リスト(RebuildLakeview, Gentilly After Katrina)のブログに記入された。 SurveyMonkeyRを使用して、オンライン・アンケートは、離散したままの人々を含む広範な回答者からの返答を集める方法を提供した。

 アンケートは、多項選択式と自由解答式の質問を使用した。 最初の節には研究について記載し、被験者を使用した研究のために必要とされる情報を提供した。事件を思い出して参加者が不快を体験した場合の、メンタルヘルス資料とホットラインのリストが提供された。同意がアンケートの申し込みによって行われることを、ステートメントで参加者に通知した。 第2節は、ハリケーン・カトリーナの前後に情報ニーズと情報行動に関連した質問が含まれる。 第3節は、被災者がどのように情報を他者に提供したかに関連した質問が含まれる。第4節は 被災者に災害関連の情報体験を詳細に検討するよう頼んだすべての自由解答式の質問から成る。 本論文に最も関係する質問はこの第4節にあり、「災害に関連して図書館がどのような役割をあなたの体験において果たしたか?」を読んでほしい。最終節は人口統計の質問から成る。引き続いてのインタビューに参加する気持ちがある人々に対して、電子メール・アドレスまたは電話番号を残すオプションが用意されていた。

 インターネット接続なしで回答者に接し、被災者の体験の複雑さを理解するために、半構造的インタビューが電話で行われた。被面接者は広報を食品雑貨店、喫茶店、バー、電柱、FEMAトレーラーハウス駐車場、大学、教会、近隣掲示板とボランティア・キャンプなどのニューオリンズ地域の公的なサイトに配置することによって募集された。広報には研究の説明、著者名、電子メール・アドレスと携帯電話番号が掲載された。

 24の対面インタビューが、2006年8月の2週間に、ニューオリンズ地域で行われた。 同意書は、各インタビューの開始前に、参加者によって確認・署名された。 参加者の同意で、インタビューは録音された。インタビューは、45分から2時間にわたった; 人口統計のアンケートとメンタルヘルス情報のリストがインタビューの後提出された。

 電話インタビューは、アンケートに関して関心を表明したがニューオリンズ地域に住んでいない人々用に設定された。電話インタビューは、直接会うことができない個人にも提供された。 電話インタビューの前に、インフォームドコンセントの同意書、人口統計学のアンケートとメンタルヘルス情報のリストは、各々の参加者に郵送、電子メール、ファックスされた。 インタビューは、インフォームドコンセント同意書の受領と同時に予定された。

 記入ずみ人口統計のアンケートの返送は任意だった。6件の電話インタビューは、2006年9月から10月の 30分から1時間にわたって行われた。

 研究主題と調査手順の概要は、各々の対面および電話インタビューの開始時に提供された。それから著者は以下の原稿を読み聞かせた:

「災害前の数日から現在までのあなたの事情を話してください。事情を語る際、異なった時期にあなたが
必要とした情報、あなたが探した場所、それを探した方法を話してください。 たとえば、あなたが見つ
けることができた情報でどんなものが必要だったか、見つけることができなかった情報でどんなものが必要
だったか? どんな資料が役に立って、そしてどれがそうでなかったか? どのように、あなたは異なる期間
に情報交換したか?」

 インタビューの間、以下の注意と追加質問が行われた:

「それで、避難の間どのように情報を得ていたか?」「災害後、図書館を使用したか?」「図書館を訪問
したとき、あなたは何をしたか?」「望んだ情報を見つけるのにどんな問題があったか?」「どのように
情報の不足があなたに影響を及ぼしたか?」「この体験は、ある情報源に対するあなたの信頼を変えたか?」
「どのようにこの体験はあなたが日常的な基本問題に関する情報を探す方法を変えたか?」「将来のハリ
ケーンの時、あなたが情報を捜す方法は変わったか?」

 オンライン調査では、314通のアンケートが提出された。「図書館は災害に関連したあなたの体験に関して役割を果たしましたか?」という質問に対して70パーセント(219人)が回答した。回答中106人(48%)が、図書館は彼らの災害関連の体験に関して役割を果たしたと回答した。全部で30件のインタビューが行われた; 被面接者の内5人は、オンライン・アンケートも提出した。著者はインタビューをテープ起しして、図書館に関するものをチェックした。30件のインタビューのうち 12人(40%)が、図書館は災害関連の体験で役割を果たしたと回答した。そして、18人(60%)は図書館が役割を果たさなかったと回答した。 著者は、被災者の図書館体験に関して引用するために調査結果とインタビュー原稿をコード化した。

調査結果[編集]

 調査回答とインタビュー原稿の分析は、被災者の生活、図書館の役割に関連した5つの主題を明らかにした。1) インターネットアクセス 2)情報、そして技術支援 3)精神的逃避4)避難 5)損失と希望の象徴。 図書館により提供される入手自由なインターネット接続と情報と技術支援は、参加者によって最も多く回答された。図書館資料は精神的な逃避を被災者に対して提供した。そして、ハリケーンと洪水によって離散した人々の避難所として、図書館は役割を果たした。被災者は地域図書館の破壊が喪失感を増し、図書館の復興が望みを与えたと述べ、図書館に対する敬意を示した。

インターネット接続[編集]

 災害後、電話通信は中断した。100万人以上の住民は国中に離散した、そして、大ニューオリンズ地域の85%は水没した。インターネットによって、人々が家族、友人、雇い主、保険会社と災害救済機関に連絡できた(ベルト、イエガー、ランガ、マクルーア、2006b)。2006年の市民復興調査で地域のテレビ・ニュースと新聞が地域に後で戻った被災者に有用だったことが明らかになったが、いまだ離散しているルイジアナ住民はインターネットが不可欠な復興情報を捜し出すことに最も役立つと回答した。 州外に残って、インターネット接続をしなかった人々にとって、情報を見つけることはとても困難だと判明した。回答者と被面接者は、以下の点でインターネット接続が彼らの役に立つと回答した。: 彼らの状況を把握する感覚を得る; 従来のメディアで提供されなかった詳細を発見する;現地の状況について地域住民により提供される情報を受けとる;一次情報では入手不可能なローカル・メディアを見て、読んで、聞き、日常生活活動を続ける。

 人間は「情報を求めるのが天性」で、情報を見つけようとすることによって、そして他人がどのように考えているか、共有の事柄について感じることによって彼ら自身の状況を理解しようとする(ラクラン、スペンス、エイス(2007); パレンとルイ、2007、729ページ)。それでも、災害状況では、情報が得られる場合は少なく、被災者はしばしば「個人の意思決定と心の平和のために必要とされるタイムリーな情報がひどく不足していることを体験する」(スクロウスキ、パレン、サットン、2008、127ページ)。 この研究において、被災者は災害後の数週間を「悪夢」と「混沌」と形容した。 多くは、家族と友人に連絡することができなかった。 何人かは、愛する人が生きているか死んでいるかどうかわからなかった。 数ヵ月後も、多くの人々はまだ状況の全体を知らないで、彼らが帰ったとき彼らを待つ状況について確信できなかった。回答者2名は「情報の不足は私をためらいの混乱した泥沼に放置し、落胆、怒り、憤慨、嫌気へと至った。私は将来と人生に関して、ごく少ないまたは中途半端な情報に基づいて決定をしなければならなかった。」そして「情報の不足は、計画することへのストレスと無能力の要因となった。 現在、最も基本的な情報を得ることは、非常に難しい ...」

 情報は、個人の対処能力に対し、二つの役割を演ずることができる。情報は人々が自律の感覚を回復することを支援することができ、そして情報を見つけることは通常トラウマとなる出来事と関連した痛みを伴う不確実性を少なくすることができる(ニューヨーク保健と公衆衛生局、2006)。情報は行動を起こす能力をもたらし、被災者が前進する力を与える(スペンス、ラクラン、バーク、2008)。「図書館でコンピュータへのアクセスを得た時だけ、あらゆる真の情報と人生の自立のあらゆるヒントを得ていたように感じた」と、被災者の1人は回答した。別の被災者は公共図書館でのインターネットへのアクセスが危機に対処するのに役立ったと回答した。そして、同様の現象が2001年9月11日に立ち往生する通勤者が図書館で情報を捜したとき見られた(ピアス、2001)。彼女のカトリーナ体験についてコメントして、被災者の1人は「私は毎日テキサスのサンマルコスで図書館を使用した。私は支援を求めなかったが、コンピュータへのアクセスは天の賜物だった。友達と同僚にメールすることができたのでパニックを抑えられた。」と回想している。

従来のメディアに代わるもの[編集]

 何日も、世界は、水中に没した都市、むき出しになった海岸線と疲れて空腹の人々が救出を待っている連続した報道を見た。疑う余地なく、これらの衝撃的映像は放送される必要があった。しかし、これらの場面は被災者が故郷に関する情報を得たり、決定をするために使用できる事実を得るためには役立たなかった。

 「ウォール街の利益の自慢をするが、地元に関するニュースを扱う時は泣きになる」(2003、12ページ)というマクチェスニイーとニコルズ(2003)がメディアの「ウォルマート化」(12ページ)と呼んだニュースの商業化とニュース組織の硬直化は非難されるべき一因である。災害は人種、貧困と暴力という枠組みで報告された、被災者は彼らの恐ろしい運命が当然であるように報道された(サマーズ、アプフェルバウム、デュークス、トオシ、ワング、2006)。 ストック(2007)は無秩序な筋立てが主流メディアを通して意図的に拡散され、それは破壊された店頭から食物と必需品を運び出してしている被災者を報道するのに使用された「略奪対発見」物語と類似していると検証している(ラッリ、2005; チェルニー、ベブス、クリゴウスキ 2006)。ある被災者は「フロリダとテネシーの公共図書館、そして、その無料インターネットのために感謝します ... そこにいる(そして、CNNから離れている)時だけ、我々は本当の情報を得ていると感じた。」と回答した。被災者は、全国ネットおよびケーブルテレビのブロードキャスターによる提示が不正確で詳細が不足していることに失望した思いを報告した。回想したとき、被面接者はいらだった。「ニューオリンズが14ブロックのビジネスの中心地だけから成っているという考えをもつ全国テレビ放送リポートしかアクセスできなかったので、ようやく人々が自分の写真を投稿し始めるまで、最終的にGoogleが洪水の衛星画像を投稿するまで、我々は故郷チャルメットの状態を何も知りませんでした。」被災者は、コミュニティ、隣人、学校、施設、教会勤務先の状態を知りたかった。アラバマに避難した男性は回答した。「我々は、特定の近所の様子を知りたかった。携帯のニュースのカバー範囲は、水没した都市の一般的な風景で決して特定された地域でなかった。それらは街路標識を示さなかった。」彼は続けて「我々は17番街運河が壊れたと聞いていた。しかし、全国ニュースではそれが一部であると伝えなかった。我々はオーリンズ・パリッシュとジェファソン・パリッシュが水没していると思った。」と語った。

市民ジャーナリズム[編集]

 インターネットによって、普通の市民は災害情報(2006年5月)の典型的なトップダウンによる伝播を回避することができた。市民リポーター(市民ジャーナリストとも呼ばれる)(Gillmor、2006)は、災害地帯内から情報交換して、貴重な直接の情報を伝達した。時々、市民ジャーナリストは主流メディアの描写と反する情報を伝達し、伝統的な情報の流通と階層に疑問を呈した(ロビンソン、2009)。パレンとルイ(2007)は、災害後のこの種のコミュニケーションの関与が、一般人の支援し支援されるニーズから生じたことを示唆している。被災者は情報を捜しただけでなく、活発に現状報告、被害報告と他者への復旧と支援の情報も提供していた。南東部ルイジアナの地理と文化に精通して、国内のメディアの放送によって支配される無秩序と略奪のセンセーショナルな筋書きにほとんど関りなく、市民リポーターは避難者との真の結節点となった。避難者は、数十億ドルの巨大メディア企業からでなく、地域のニューオリンズの住民から最も望ましい情報を見つける利点について述べた。「私は、見つけたブログから私の近所の水位に関する情報を見出すことができました。」と、回答者の1人は回答している。多くの場合、仲間の市民(メディアでなく)は、意味のある方法で、機関とコミュニティの状態に関する情報を提供した。回答者の1人は情報を他者に提供するために、彼のブログ(Gulf Sails)の利用を検討した。ブログのコメント機能によって、避難者が必要とされる情報の多くの要求を掲示することができた。ブロガーは、地域を調べるために自転車に乗って、そして、ボートで近所を旅行して、そして、携帯電話によってブログへの要請された損害の状況報告と写真を投稿した(Gulf Sails、2005)。

 NOLA.com(Times-Picayuneのウェブ版)はハリケーンカトリーナと洪水の後で驚異的な1日あたり3000万のヒットを達成し、災害前の700,000平均をはるかに凌いだ。(シルヴェスター、2008)。NOLA.comのフォーラムは、詳細な情報を見つける情報源として、ほとんど全ての回答者と被面接者によって言及された。たとえば、ある人は 「ニューオリンズの私の地区と状況に関する迅速な情報は、探すのが大変困難でした。噂が飛び交っていました。最高の源(本当にただ一つの地元の情報源)は、NOLA.comフォーラムでした。」と語った。

 NOLA.comにアーカイブされたフォーラムのメッセージは被災者が災害の後の数ヶ月にどうしても見つけたかった情報のタイプを示している。 メッセージの主題欄には、情報を求める訴えが含まれている:「運河大通りとフィルモアはどうなった?」、「救援を送ってくれ、彼らを救い出して!」、「Lakeviewはどうなってる?」、「NOAAイメージを手伝ってください」。「私は信頼できる中央の都市情報を必要とします!」(アンドラエドウグルl、2005; Cmm、2005;Jahara、2005; Jgt、2005; PaualFSPS、2005)。 、被災者は地域住民からのインターネット経由の詳細な情報の受容がどんなに貴重だったかについて語った。:「インターネット接続ができたとき、隣人を見出すため、そして家の写真をキャプチャするためにNOLA.comのフォーラムを読みました。 私は家が水没しているということを知っていました。しかし、私が屋根まで水没している家の写真を見たのはようやく9月1日でした。」

地域メデイアへのアクセス[編集]

 この情報時代に、これほど多くのアメリカ人が、家からまたたく間に退去させられたのである(イーガン、2005)。調査時に、ニューオリンズ地域住民の50%だけが帰宅した、そして、6つの教区からなる大ニューオリンズ地域の再人口率には、大きな格差が存在した(大ニューオリンズコミュニティデータセンター、2008)。 2・3日の旅行後帰れると思った多くの住民は、1年以上の間退去させられた。 一部の被災者はまだ戻っておらず、多くの人々は決して戻れないだろう。カルチャーショック、孤独、情報の乏しさの気持ちは、被災者の間で一般的だった。(アビラ、2005; デューガン、2007; ギル、2007; ゴッドウイン、2007)。フロリダ州ペンサコラに避難した1人の被災者は故郷の情報が欲しくてたまらなかったので、彼女がどんなになけなしのお金を使って公共図書館ワークステーションからニュースを印刷しなければならなかったかについて語った。

 Times-Picayune、WDSUchannel6 News、WWLchannel4 News、WWL-AMラジオのような地域情報源は、役に立つ情報を提供し慣れない土地にいる被災者の慰めの気持ちを与える著名なアンカーとリポーターの家族的な情報源だった。アスペン研究所の報告に記載されたように、離散した視聴者と連絡をとろうとする際に、ローカルメデイアは、大きなコミュニケーションの困難に直面した。それでも、WWL-テレビのプランナーでさえ、ハリケーンが去ったとき、何が起きるか予想できなかった。視聴者はその放送圏外に離散していたか、とどまっていた人々も、放送を視聴するための電気はなかった。 先例のない方法で、メディアは、離散者の都市と通信する業務に対処した。 他のニューオリンズ放送局と同様にWWL-テレビはウェブサイトに転換した(2006年5月、14ページ)。

 ローカル・メディアはこの研究に参加した被災者にとって最も有用な情報源であったことがわかった。 ローカル・テレビ、ローカル・ラジオと地方紙はその主要な形態では被災者が利用できなかったが、ある被災者はWWL-テレビのニュース放送の生のストリーミングビデオを被災者のグループに提供した図書館を訪問したことに言及し、他の人はWDSU.comとNOLA.comに投稿された写真を見るために図書館のコンピュータを使用したことに言及した。 地元新聞社は、災害に影響を受けたニーズに焦点を当てており、死、負傷、救出、安心、資産、長期の復興に関する情報を提供していた。 全国紙は、被災者の苦悩、犯罪的な活動と政府の失策(デイルとウー、2009)に集中していた。被災者にとって、インターネットは地域のメディアにアクセスする唯一の手段を提供した。

日常的な情報ニーズ[編集]

 我が国のような情報の豊富な社会では、人々は、日々の活動を遂行するための情報と通信の情報源はしごく当たり前と思いうるのである。ほとんど警告もされずに、仕事、学校または日常生活から引き離されることなど、めったに考慮されることはない。しかしながら、これは、正しくハリケーン・カトリーナとニューオリンズ洪水の被災者に生じたことなのである。日常生活の情報ニーズが危機の時代に存在し、災害関連の情報ニーズが加わる。 被災者は、彼らの生活を維持する贅沢はいっていられなかった。ある男性は、図書館が仕事と学校から離れた生活を維持するのに役立ったと語った。彼らは、自分を保全できる資料を必要とした。数人の被面接者は、情報とコミュニケーション資源を必要とした主要な生活上の出来事に言及した。: ある被面接者の父は強制的な避難の前日他界した。; もう1人は彼女の養子を採用する最後の段階にあった。; 数人の大学生は大学のキャンパスがいつ再開するかの情報のみならずどの大学がカトリーナ被災者を登録するかを捜した。 情報不足は、意思決定が不確実な状態に被災者を置いた知識の格差を生じた。 幾人かの調査回答者と被面接者は、仕事、財源、保険、育児、住宅、治療、仕事、教育と公的扶助に関連した情報ニーズに言及した。被災者は、前進するために図書館を利用し、女性の1人は図書館を「救命胴衣」と呼び、他の人は彼女の「情報ライフライン」と呼んだ。

情報と技術支援[編集]

 実質的な資金提供なしのオンライン政府サービスに関する図書館の支援への依存の高まりが数多く報告されている(ベルト、イエガー、ランガとマクルーア、2006a、2006b; イエガーとフライシュマン 2007 ; マクルーア、イエガーとベルト 2007)。議会に対する声明で、米国図書館協会(ALA)(2007)は、求職申し込み、メディケード(医療保険)登録と出入国管理プロセスを含む多種多様な政府関連のオンライン情報ニーズで利用者を助けている公共図書館について、例を挙げて言及している。ALAは政府機関がインターネット・ベースの政府業務のために市民に意図的に図書館を教えていると説明した。何十万人もの被災者が(連邦緊急管理庁〈FEMA〉支援、中小企業協会(SBA)のローンや他の不可欠な災害支援のためにオンラインで応募するように仕向けられたとき、電子政府モデルは試練を受けた。 機関の電話番号が提供されたが、被災者にはこの方式が携帯電話が失われたのと、固定電話の不足のためにほとんど効果がないとわかったが、自動応答システムのためひどく長く待たされた(キルダイ、ブライアントとグスマン 2005 ; マレイ、2005; スタインハウアーとリプトン 2005)。 多くの被災者と避難所住民がこれまでコンピュータを使用したことがなく、ブラウザーの利用や、電子メール・アカウントの作成のような基本的なスキルでの支援を必要としたと、パレンとルイ(2007)は回想した。ある30代の被災者は、彼女の祖母が支援のためにFEMAと他の機関に連絡しようとした時、遭遇した問題についてコメントした。 インタビュー時眉をひそめて彼女は尋ねた。「すべての情報、すべての支援は現在インターネット経由です、そして、年輩者にとって、それは大変です。 誰が彼らを助けようとしますか?誰が災害前に彼らを支援するでしょうか、そして災害後は誰が彼らを支援するでしょうか?」

 ALAは全国の図書館の86%が災害関連の情報ニーズ(ALA、2007)に関して利用者を支援したと報告した。2006年の公共図書館とインターネットについての報告によると、あるミシシッピの公共図書館は45,000以上のFEMA申請、保険申請、不明家族の調査で利用者を支援した(ベルト、イエガー、ランガとマクルーア、2006b)。ラファイエット公共図書館を使用した調査回答者は、語った。講堂を被災者支援センターに改造し、難しいFEMA申請手続きに関して新しい人々を案内するのを手伝った体験豊かな図書館員を賞賛した。

 これらの事件のトラウマと全生活を復旧する煩雑さが、被災者に打撃を与えた。定住地を探し、支援センターで一列に並び、ホテルからホテルへ移って、新しい環境に慣れようとすることに、時間の多くが費やされた。 他の機関と組織が役立たないと思われたとき、数人の被災者は図書館が良いカスタマーサービスを提供したと語った。 ある女性は「私が図書館に入館すると、図書館員が『我々は支援することができます。』と語った。」と回想した。ある調査回答者は「至る所で我々が使用した図書館は、素晴らしく役に立つ場所だった。」と記入した。図書館員は、被災者の時間を節約し仕事をより簡便にするオーダーメイドの資料を提供した。たとえばウェブサイトの批評リストを開発したり、地域の店、レストラン、赤十字避難所、学校の広報を作成するなどである。

 公共図書館は、人々が必要とする情報を捜すことができ、本、映画、新聞、論文、インターネットにアクセスすることができる施設である。それでも、公共図書館は時々見すごされるか、所与のものとみなされてきた。 図書館の館長は、職員、施設、コレクションのための資金の提供をするよう常に要請している。 危機の際に無料で、公共のインターネットアクセス、資料、被災時の援助を提供する図書館の分散したネットワークの価値は明白である。 「最低限、図書館は、私の情報を得る能力に非常に強い役割を演じた」とある男性ははっきりと語った。

逃避としての読書[編集]

 ベイリー(1999)「確かに、本は逃避である; そうでなければ、生きるための治療である」と述べている(23ページ)。日常生活の退屈さを逃れ、ならびに悲惨な状況を逃れる手段として、読書が利用された。 都会に住む若者(ヒューズ-ハッセル、ロッジ、2007)、南アフリカの黒人女性(ナットール、1994)、英国公共図書館利用者(ウシャウッドとトイネ、2002)、カナダの大学生(ネル、1988)などのいろいろなグループの読書の理由として、逃避が報告された。『読書: 戦時の発見』というタイトルの記事は、第二次世界大戦について考えるのを避けたいというアメリカ人の願望を動機としたアメリカの読書ブームを記述している(バークレー、1945)。ユダヤ人の囚人のテレシエンスタット・ゲットーの中央図書館の利用について、イントラトール(2007)は議論している。「本は、耐えがたい現実から逃避して、過去や現在、現実や想像の他の世界に一時的な精神的な避難をすることを可能にした。」(516ページ)。 ジャクソン(2001)は退屈、悲しみ、痛みと不安(17ページ)を和らげる「避難の空間」を、本が提供すると指摘している。 図書館の本が「トラブルから気をそらして、恐ろしい災害関連の議論から離れる時間を子供たちに与える」と、ある被災者はコメントした。 ある被災者は「私は、テレビを見続けることができなかった。災害関連の全ては、あまりに憂鬱だった。 図書館の本は、私に逃避を提供した。」と記入した。

場所としての図書館[編集]

 2005年12月100万人以上のハリケーン・カトリーナ被災者は、まだ家がなかった。(ローマン、2005)。 マイケルCart(2002)は、公共図書館を「アメリカの玄関口」と呼び、以下のように述べている:

図書館は、暗闇の中の光、寒さの中の暖かさ、ハリケーンの中の避難所、避難と聖域のための不可欠な場所であり、物事が
めちゃめちゃになっている時にそびえたつセンターであり、無数の種類の形式とフォーマットの情報への自由なアクセスの
場所であり、等しい機会を与える場所であり、デジタルデバイドなどの格差を解消する橋であり、コミュニティであり、
すべてのアメリカ人の大きな玄関口でありすべての人に開かれた玄関口であり、すべての人が集まり、コミュニケートする、
普通的な人間性を見出す場である(20ページ)。

 彼のことばは、公共図書館が門戸をハリケーン・カトリーナとニューオリンズ洪水の被災者に開放することによって、公共図書館が演じた役割を示唆している。 被災者は驚いて、最も小さな町でも公共図書館を見出して喜んだと回答した。人々は図書館をそれが考えるための情報または場所であったかどうかにかかわらず、必要とするものを見つける信頼された公的な場所と認めた。9月11日のテロ攻撃の後図書館の役割について述べた論文で、コロンビア特別区公共図書館制度経営とコミュニケーションディレクターのモニカ・ロフトンの以下の言葉が引用されている。「図書館が開いていることは、彼らに平常の感覚を与えました。彼らは、人々と共にいる必要があるのを感じました。図書館に来館できることが彼らの癒やしの過程の始まりでした。」(ピアス、2001、17ページ)。あるニューオリンズ被災者は数週間車で生活しながら日中図書館を使用したと語り、 彼女の家族にとって、図書館は「損害を受けた人々がくつろぐことができ、彼らの生活を共有できた、子供のための遊び場のある、暖かい快適な場所」であったとコメントした。これらの例は、ディジタルアクセスとバーチャルサービスの世代にさえ、『場所としての図書館』の重要性を裏付けている。

損失と希望のシンボル[編集]

 全国調査で、回答者の78%は、公共図書館の閉館が「基本的で重要なものが失われ、全コミュニティに影響を及ぼした。」と感じさせたと認めた(ウッデン、2006)。クヌースは「図書館が破壊されたとき、遺産が失われただけではなく、図書館と一身同体になっているグループが、誇りに対して打撃を受けた」と述べている(2003、45ページ)。 ニューオリンズとルイジアナの人々は、文化、遺産、歴史の知識が豊富である。 数世代にわたって同じ地域に暮らし、特徴的な深いセンチメンタルなアタッチメントを作成する住民が存在することで、ニューオリンズは知られている(ゴールドスミス、2007; 州長官、2006)。 ニューオリンズと周辺地区のような地域は、各地域が自己の特徴とルーツを保持してきた所であり、地域の図書館の破壊がいかに彼らの「喪失感」の一因となったかについて被災者が語るのを聞くことは驚くべきことではない。

 ロストウ(1981)は図書館が「存在してきたものとこれから待ち受けているものを結合する組織」(9ページ)として存在すると書いている。 洪水前に地域から避難した住民は、力強い、機能している故郷を去った。彼らの復帰と同時に彼らを待ちうけていたのはまったく異なった風景だった。荒地(何かがかつて存在していたという塊)を見つけた。 汚れた茶色の水は、あらゆる家と建物に傷跡を残した。かつて知っていた近隣というよりもむしろ黙示録的な映画セットに、人通りがなく、無色で、完全に静かな通りは似ていた。破壊はそれを体験しなかった人には考えられないものであり、かって住んでいた人々は必死に、平常への復帰を意味する証拠、過去への復帰、少なくとも将来に対する希望を探し求めた。カトリーナ後の彼女の生活についての質問に答えて、ある被面接者は「図書館分館を再開することは、故郷が戻っているという徴候として理解される」と述べた。 数秒後に彼女は語った。「私に図書館を返して欲しい」。

研究の限界[編集]

 調査結果を解釈するとき、この研究の特定の限界を考慮しなければならない。 被災者は災害の1年後に、調査回答を記入し、インタビューに参加した。このため限られた回答に終わった。 1年間を目標にこの時期の情報ニーズと行動の変化に関するデータを集めるために、研究は実行された。被災者の情報行動を発見しようとした調査のインターネット配布は、情報探索と情報利用に関するデータをゆがめることに終わる場合があった。 著者は、全国に離散した人々の参加を提供するためにオンライン調査を配信する方法を選択した。インターネットへのアクセスができない人々の調査もするために、著者はインタビューをした。1-10(付録Aを参照)表の人口統計のデータは、人種的、民族的、教育的な災害の前にニューオリンズ地域に住んだ住民の多様性を表示しない。災害によって最もひどく影響を受けた人々は、マイノリティで、経済上、教育上、不利な立場に置かれている。インターネット接続の不足は、これらのグループの人々の参加を制限したかもしれない。 災害前も恵まれなかった多くの人々は、災害後家庭再建(ゲイブ、フォーク、マカーティーとメーソン、2005)の大変な困難に直面した。 カトリーナと洪水の後、ニューオリンズの住民は、貧しくなく、教育され、人種的、民族的に一様になった。(フレイ、シンガーとパーク、2007)。被面接者人口統計に見られる多様性の欠如に、これは関係したかもしれない。ほぼ半分の被面接者は、オプションの人口統計の用紙に記入しないほうを選んだ。この理由から、実態的人口統計に関する一般化あるいは結論は、推奨されない。

議論[編集]

 局所的でコミュニティ規模の災害の可能性は、進行中の脅威である。 図書館には被災者の反発力に関してあることができる影響を認識し、よりよく将来の災害に備えるために、図書館員はこの研究の結果を利用できる。発見されたキーポイントは、以下の通りである:

- 被災者は、災害後情報を望み、必要とする; 図書館は、アクセスと支援を提供している唯一の機関である場合がある。
- 被災者は、仕事、教育と日常的な活動を続けるために、図書館を訪問するかもしれない。
- 被災者は、隣接した災害地帯の外に位置する図書館を訪問するかもしれない。
- インターネットへのアクセスは、高い要求があり、親類を見つけ、災害支援を要請し、破壊の範囲を発見し、将来の計画を
立てるのに用いられる。
- 付加価値資源(例えば重要なサイトをリストしているウェブ・ページ、ホスト・コミュニティ情報の広報と支援アプリケー
ションのチュートリアル)は、被災者の役に立つであろう。
- 被災者の故郷とピア・ツー・ピア情報の共有からの地域情報源は、ほかで見つからない詳細な情報を提供し、貴重である場合がある。
- 被災者は、物理的精神的な避難を求めるために図書館を利用したいかもしれない。
- 図書館を資料を見つけ、危機状況で支援を得る場所と位置付ける広報キャンペーンは、図書館の支援能力を知らないか信用
していない人々に必要である場合がある。
- 理想的には、市民への図書館の働きかけと災害情報のパートナーとしての緊急にコミュニティへ反応することが、継続的に
なければならない。

 図書館員と情報スぺシャリストが災害計画と災害回復プロセスで重要な役割を演ずることができることを、この研究は証明する(ディカーソン、2007; イエガー、ランガ、マクルーアとベルト(2006);マグラスとダウリン(1987); マクナイトとザック(2007); イシ 2001)。 図書館と情報科学スペシャリストがより関与すべきだという要求が増加している。 図書館ならびに情報科学に関する全米委員会による提案は、災害時に、図書館のより広い役割を主張し、米国図書館ネットワークは「情報普及と管理のための巨大な国家資源(特に危機時の)」である(USNCLIS、2002、2ページ)と語った。米国図書館協会による米上院への声明(2007)は「災害への準備と対応への図書館の役割は、完全には認められておらず、公共図書館への支援はほとんどなされていない。」(3ページ)と表明している。

 ハリケーン・カトリーナの時の図書館の業務を取りあげたレポートで、図書館情報学(2008)米全国評議会は示唆している。「事前に、事前に訓練を受けることで組織化されるならば、図書館はコミュニティの復元力を向上させるためのセンターでありえる」(46ページ)。ウイルは公共図書館がデータの受動的な宝庫以上でありえる」と(2001)書いている。全住民の支援のため、ローカル情報を調整し、伝達するためのコミュニティのセンターでありえるし、そうなければならない」(77ページ)。 彼はさらに図書館員は、災害計画と復興過程への関与に関して率先的にならなければならず、自ら情報の専門家として災害プランナー、災害の前後にコミュニティの復興に必要な主要な情報センターと情報伝達者として図書館を宣伝しなければならないと付言している(ウイル、2001; マクナイト、2006)。

 しかし著者はそのような新しいイニシアティブが低いプライオリティーとみなされ、特に経済危機の間多くの公共図書館システムが直面しているひどい資金提供制約を認識している。(エバーハート、2008; フラグ、2009; グリーンウッド、2009; 長く、2005)。基本サービスを提供するのに苦労しているとき、不可知の時代の不確かな事件に備えることは軽薄なことかもしれない。 ボーデンとカッターのアメリカ合衆国の死亡率地図(2008)は災害が全国で市民に影響を及ぼし、いつでも起こることがありえるという厳しい視覚的な警告である。 その時が来るとき、アメリカ人は公共図書館に目を向け直すだろう。

 ハリケーン・カトリーナと最近の災害によって加速された図書館情報学研究は、災害関連のサービス提供に関して、公共図書館に2本の重要な選択肢を提供する。第1は米国医学図書館の災害情報管理リサーチセンターのような進行中の研究プロジェクト、マクナイトとザックの証拠にもとづく研究、そして、フロリダ州立大学情報使用マネジメント政策研究所のフロリダ公共図書館のためのハリケーン準備と対応などの研究成果によってすべてのLIS専門家にもたらされた利益である(NLM、2007; マクナイトとザック 2007 ; FSU、2008)。討議リスト、災害情報スペシャリスト・プログラム、ワークショップ、広報テンプレート、LISカリキュラム構築、広告アイデアとすべての図書館に有効なツールキットのような研究とツールが、これらの災害に焦点をあてた機関から創造されている。公共図書館は研究開発の全コストと研究開発の負担をすることなく災害サービスの計画を立て、実行することが可能であろう。

 第2に、特に予算緊縮の時代に、公共図書館が災害の間、個人とコミュニティに果たす積極的役割を記録するLIS研究が、図書館に寄与する場合があり ウェルシュとヒギンズ(2009)は災害のような注目される事件の時にサービスを提供することが平時の危機モードにおける図書館のコミュニティをサポートする役割の認識を向上させるのを支援することができると提唱している。図書館のコミュニティとの肝要なつながりを確認するのと平行して図書館のサービスと彼らの反応に関する以降の研究がもう一度、十分な資金提供と支持へのニーズを正当化している(Pors、2009)。

結論[編集]

 この研究は、ハリケーン・カトリーナと洪水後の公共図書館の役割に関する研究主体に対し際立った貢献をした。研究は災害の後図書館を利用した被災者の体験を理解しようとした。そして、彼らの証言は結果を例示するのに用いられた。 調査によって情報アクセスと情報と技術支援は被災者の図書館利用の2つのキーポイントとなる理由だったことが判明した。 図書館資料を読むことは、逃避の手段を提供することがわかった。被災者が災害と破壊の後身を寄せた物理的な場所として、図書館は用いられた、そして、ニューオリンズ地域の図書館を再建することは損失と望みの象徴として提供された。

 本研究は図書館がコミュニティ規模の災害の後、被災者の生活に与えることのできるインパクトについての直接の報告を提供した。しかしながら、図書館が彼らの災害関連の体験で役割を演じなかったと、回答者と被面接者の2分の1以上が述べた。 LIS専門家が大規模災害の前、そして、その後に、より大きな影響力を行使しえる方法を調査するために、追加の研究が必要である。 更なる研究は、被災者が災害の後図書館を利用するのを妨げるバリアを定義し、被災者に必要な図書館や情報関連のサービスを特定し、LIS専門家が災害計画と対応の専門家と協力可能な方法を調査し、図書館員がどのように図書館を災害後の情報とコミュニティ・センターとして運営することができるかについて調査しなければならない。

情報源[編集]

記入者[編集]

  • Soda235 2011年5月1日 (日) 01:22 (JST)

元情報[編集]

  • この論文は山口さん(翻訳者)が著者のブラケットさんから許諾を得て翻訳したものです。それを、このサイトのために提供いただき、転載させていただきました。