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2011-04-27 東奥新報 記事を追記
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=== 施設の被害 ===
 
=== 施設の被害 ===
 
*(2011-04-28 公式ブログ)「すぐ側を流れる五戸川を逆流してきた津波が土手を越え、学校の周囲は40~50cmほどの深さで浸かってしまいました。」<ref name="nblog.hachinohe.ed.jp_201104_1">[https://nblog.hachinohe.ed.jp/tagae/201104/article_1.html 多賀小学校ブログスタート! 多賀小学校 - すぐ側を流れる五戸川を逆流してきた津波が土手を越え、学校の周囲は40~50cmほどの深さで浸かってしまいました。](2012/03/10閲覧)</ref>
 
*(2011-04-28 公式ブログ)「すぐ側を流れる五戸川を逆流してきた津波が土手を越え、学校の周囲は40~50cmほどの深さで浸かってしまいました。」<ref name="nblog.hachinohe.ed.jp_201104_1">[https://nblog.hachinohe.ed.jp/tagae/201104/article_1.html 多賀小学校ブログスタート! 多賀小学校 - すぐ側を流れる五戸川を逆流してきた津波が土手を越え、学校の周囲は40~50cmほどの深さで浸かってしまいました。](2012/03/10閲覧)</ref>
 
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*(2011-04-27 東奥新報) 津波防災マップ/想定超え避難所浸水/専門家「うのみにせずに」<ref name="www.toonippo.co.jp_20120325">[http://www.toonippo.co.jp/kikaku/2011jishin/kyoukun/20110427.html 津波防災マップ/想定超え避難所浸水/専門家「うのみにせずに」 - Web東奥・企画[3.11八戸の教訓 2] 20110427](2012/03/25閲覧)</ref>
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*:「市の避難所に指定されている多賀小学校の前田■規校長が、地震が発生した3月11日を振り返る。校舎のコンクリートの基礎部分には、地面から40~50センチの高さに泥の線が残った。津波跡だ。冠水したグラウンドは現在も使用不能のままだ。 市が08年3月に作成した津波防災マップは、津波の浸水範囲を一定の水深ごとに色分けしている。今回、津波が押し寄せた地域は、大半がマップの想定通りだった。しかし、マップ上で津波が来ないはずだった同校だけが、69カ所の避難所中、唯一冠水した。 前田校長や付近住民の記憶によると、第2波が襲来した午後5時ごろには、校舎前の道路は激しく流れる泥の川に変わっていた。一歩間違えば、高齢者や子どもといった災害弱者が足を取られ、流される危険性もあった。」
 
=== 蔵書・収蔵品・展示の被害 ===
 
=== 蔵書・収蔵品・展示の被害 ===
  

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