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蔵を会場とした「布袋まつり」「蔵の陶器市」など秋の恒例行事はことしも行われるが、 | 蔵を会場とした「布袋まつり」「蔵の陶器市」など秋の恒例行事はことしも行われるが、 | ||
常時、観光客が見学できるようになるには2、3年を要するという。 | 常時、観光客が見学できるようになるには2、3年を要するという。 | ||
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震災前、町はやましょう記念館が国の登録有形文化財に指定されるよう準備していた。 | 震災前、町はやましょう記念館が国の登録有形文化財に指定されるよう準備していた。 | ||
観光資源として、文化財として、蔵の町並みの価値を再構築する矢先に震災は起きた。 | 観光資源として、文化財として、蔵の町並みの価値を再構築する矢先に震災は起きた。 |
2012年6月7日 (木) 14:22時点における最新版
村田商人やましょう記念館 | |
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よみ | むらたしょうにんやましょうきねんかん |
所在地 | 989-1305 宮城県柴田郡村田町村田191 |
緯度経度 | 38° 7' 6.74" N, 140° 43' 20.65" E |
電話番号 | 0224-83-2111 |
メールアドレス | |
ウェブサイト | http://www.town.murata.miyagi.jp/sangyoshinko/kankoannai/kuranomachi.html |
備考 | 情報提供協力: インターネットミュージアム 住所・電話は村田町商工会のサイトによる。 |
被害状況[編集]
職員・利用者の被害[編集]
施設の被害[編集]
- (2011-09-27 河北新報) 2011年9月20日の時点でもなお、表通りに面した店蔵(1874年建築)は地震で柱が傾き、その表面に取り付けられた金属製の装飾がたわんでいる。内部は土壁や瓦が崩落したままの状況。店蔵と接した母屋(1916年建築)では1階北側、2階南側の各部屋の計3カ所では雨漏りが発生している。震災の揺れで瓦が落下したため屋根をシートで覆っているが、隙間から水が入り込んでしまう。蔵の内側、外側の至る所ではしっくいが剥がれ、中の土壁も崩落した。町歴史みらい館の石黒伸一朗さんは「1978年の宮城県沖地震で亀裂が入った箇所と同じ所が崩れた」と説明する。[1]
蔵書・収蔵品・展示の被害[編集]
その他の被害[編集]
運営情報[編集]
- (2011-09-27 河北新報) 震災以降、観光客が見学できない状況が続く。[1]
町は6月補正予算に記念館などの復旧費2000万円を計上し、10月上旬までに突貫工事で応急措置を施す。 蔵を会場とした「布袋まつり」「蔵の陶器市」など秋の恒例行事はことしも行われるが、 常時、観光客が見学できるようになるには2、3年を要するという。
震災前、町はやましょう記念館が国の登録有形文化財に指定されるよう準備していた。 観光資源として、文化財として、蔵の町並みの価値を再構築する矢先に震災は起きた。 だが、住民所有の蔵は126棟のうち10棟が既に解体された。 一般住居以上の公的支援を適用できないことが一因となった。 佐藤英雄町長は「県の震災復興基金や民間の力を借り、個人所有の蔵を復旧する方法を模索したい」と話している。
- (2011-05-03確認) 現在、地震の影響により見学不可。[2]
救援状況[編集]
避難受入情報[編集]
避難受入規模[編集]
その他[編集]
情報源[編集]
記入者[編集]
- (2011-09-27) stkyoshima 2011年10月5日 (水) 22:32 (JST)
- (2011-05-03) Baronagon 2011年5月3日 (火) 23:12 (JST)
元情報[編集]
- ↑ 1.0 1.1 河北新報ニュース (13)村田商人やましょう記念館(宮城・村田町)/蔵の町の象徴 傷跡深く <母屋では雨漏り>記念館は豪商・大沼家が江戸期から明治期にかけて建てた八つの蔵で構成され、現在は町が所有している。2011年09月27日火曜日(2011/09/27閲覧)
- ↑ 蔵の町|村田町 - 村田商人やましょう記念館(村田字町)※東日本大震災の影響のため、現在見学することはできません。画像:村田商人やましょう記念館村田商人「やましょう」は、江戸後期から昭和の初期にかけて紅花の取引をはじめ、生糸、綿糸、農産物、味噌醤油醸造販売業などを商いとした町有数の豪商として知られていました。記念館は、往時の面影が残る家並みが連なる表通り(蔵の町並み)にあり、歴史的文化価値の高い建築物で、建物に付随する表門は、薬医門と言って非常に珍しいとされ「やましょう」邸のシンボルでもあります。離れ座敷は、名曲「影を慕いて」の作曲者・古賀政男氏も宿泊したことがあります。七代当主 大沼正七氏より寄贈(2011/05/03閲覧)