「被害報告があった宮城県の施設」の版間の差分

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<div style="float:left;width:23%;padding-bottom:0.5em">
<div style="float:left;width:23%;padding-bottom:0.5em">
<h3>む</h3>
<ul>
<li>[[#村田商人やましょう記念館|村田商人やましょう記念館]]</li>
</ul>
<h3>や</h3>
<h3>や</h3>
<ul>
<ul>
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<li>[[#山元町立山下第二小学校|山元町立山下第二小学校]]</li>
<li>[[#山元町立山下第二小学校|山元町立山下第二小学校]]</li>
</ul>
</ul>
</div>
<div style="float:left;width:23%;padding-bottom:0.5em">
<h3>り</h3>
<h3>り</h3>
<ul>
<ul>
252行目: 259行目:
<li>[[#利府町郷土資料館|利府町郷土資料館]]</li>
<li>[[#利府町郷土資料館|利府町郷土資料館]]</li>
</ul>
</ul>
</div>
<div style="float:left;width:23%;padding-bottom:0.5em">
<h3>れ</h3>
<h3>れ</h3>
<ul>
<ul>
<li>[[#歴史博物館 青葉城資料展示館|歴史博物館 青葉城資料展示館]]</li>
<li>[[#歴史博物館 青葉城資料展示館|歴史博物館 青葉城資料展示館]]</li>
</ul>
</ul>
</div>
<div style="float:left;width:23%;clear:left;padding-bottom:0.5em">
<h3>わ</h3>
<h3>わ</h3>
<ul>
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<h3> その他の被害 </h3>
<h3> その他の被害 </h3>


<h2 style="margin-top:1em;clear:left">[[村田商人やましょう記念館]]</h2>
<h3> 職員・利用者の被害 </h3>
<h3> 施設の被害 </h3>
*(2011-09-27 河北新報) 2011年9月20日の時点でもなお、表通りに面した店蔵(1874年建築)は地震で柱が傾き、その表面に取り付けられた金属製の装飾がたわんでいる。内部は土壁や瓦が崩落したままの状況。店蔵と接した母屋(1916年建築)では1階北側、2階南側の各部屋の計3カ所では雨漏りが発生している。震災の揺れで瓦が落下したため屋根をシートで覆っているが、隙間から水が入り込んでしまう。蔵の内側、外側の至る所ではしっくいが剥がれ、中の土壁も崩落した。町歴史みらい館の石黒伸一朗さんは「1978年の宮城県沖地震で亀裂が入った箇所と同じ所が崩れた」と説明する。[http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1086/20110927_01.htm 河北新報ニュース (13)村田商人やましょう記念館(宮城・村田町)/蔵の町の象徴 傷跡深く <母屋では雨漏り>記念館は豪商・大沼家が江戸期から明治期にかけて建てた八つの蔵で構成され、現在は町が所有している。2011年09月27日火曜日](2011/09/27閲覧)
<h3> 蔵書・収蔵品・展示の被害 </h3>
<h3> その他の被害 </h3>